大森海岸と平和島 2010年11月21日 LIFE ON BOARD@羽田D滑走路+京浜運河クルーズ

平和島競艇場のおかげだろう、
平和島という地名はそれなりの知名度をもっている。


ところでこの平和島競艇場、はじめは平和島と名乗っていなかったとのこと。
wikipediaの記述によると
1954年に大森競走場として初めてのレースが開催され
1957年に平和島競走場という名前に改称されている。


大森海岸は、当地の芸者置屋のサイトによると、
砂浜のすぐそばにあり京浜急行大森海岸駅おかれたために
海水浴場の開設によってにぎわい、
さらに花街も形成されていったという歴史をもつ土地。


いっぽうの平和島
大森海岸の沖にある人工島で、1960年前後に観光開発されている。

 昭和26年にモーターボート競争法が公布されたことに伴い、平和島がその適地として着目され、大森海岸の海水浴場を含む営業権、昭和28年には隣接地の埋立権を現京急開発(株)が獲得し、競艇場(29年6月初競争)はもとより、平和島温泉(32年6月)、ボウリング場(39年12月)・平和島大飯店(44年10月)と矢継ぎ早に開業し、一大レジャー拠点としての地位を築くことになる。

平和島の由来


大森海岸と平和島は隣り合った位置関係にあり、
1950年代時点ではひとくくりの行楽地と認識しても
何ら問題なかったのではないかと思える。


それだけなら1957年の競艇場の名称変更に特に注目することもないのだが、
1960年代まで考えに入れると話がかわる。


1961年に大森海岸駅の隣に平和島駅が誕生する。
平和島駅はそれまで学校裏駅の名前で営業していた駅で、
駅のある場所自体は平和島の島内ではなく
大森海岸駅からと平和島駅からとで平和島への距離はそう違わない。
しかしそう名付けられているからには
平和島への玄関口は平和島駅ということになる。


大森競争場という名前で開業して
どうみても大森海岸のものだった競艇場も、
平和島競走場と改称されさらに平和島駅ができたのでは
大森海岸のものではなくなる。


ことの経緯をながめる限り、
1954年から1957年のあいだのどこかの時点で
平和島を大森海岸から切り離すという決定が
京急資本によってなされたようだ。


どういう背景でそうなったかは知らない。