2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧
京浜急行大森海岸駅から東にでて 国道15号線をわたった先の街区をぬけたところにあるのが勝島南運河。 運河のなかでも陸側の南北方向にながい水面は 平和島競艇場としてつかわれていて 船からでも入りこむのがむずかしい。 平和島競艇場はもともと運河だった…
品川区の旧水際線を南北にたどる元なぎさ通りは 北から目黒川を渡ったあと、もと海岸線だった位置にでる。 そのさきを南下した元なぎさ通りを行き止まりにしているのが 勝島運河の水面。 勝島運河のすこし北についても少々。 京浜急行青物横丁駅と鮫洲駅のあ…
旧河口の手前でしばらく海岸線と並行して北にむかっていた目黒川の もとの河道、すなわちいまの運河の最奥部が 東京湾にうつりかわったあたりから 天王洲運河は東へと向きを変える。 そのさきで天王洲運河と交差する南北方向の運河が高浜運河。 高浜運河自体…
品川はもとは目黒川が東京湾にでる河口部にうまれた港町。 江戸時代にはいると東海道の江戸から最初の宿場になり 江戸から日帰りでいける海辺の行楽地として栄えたとのこと。 江戸を南にたって海岸線沿いにすすんできた旧東海道の 品川宿あたりの様子は 京浜…
都市に新しい「水上経験」をつくることをテーマに活動されている BOAT PEOPLE Assosiationさんが企画された LIFE ON BOARD@羽田D滑走路+京浜運河クルーズに参加した。 BPAのイベントに参加するのは、今年だけでも6回目くらい。 今回は品川区と大田区の埋め立…
武蔵野台地の北のへりを南東から北西につづいてきた川越街道は 白子川を渡るところではじめて切りこんだ谷にぶつかり低地におりる。 白子川を越えたあと、明治時代までの川越街道はいちど角を左に曲がって南西にむかい、 朝霞台の崖の傾斜が小川に削られてゆ…
百々向川緑道の脇のコンクリート擁壁 縦に大きくはしったクラックをホチキス針のかたちをしたなにかで抑えつけてる。 医療用ホチキスがあるくらいだから 傷口をいじらずに外側から固定するには悪くない構造なのかもしれないけれど こんなところに使われてる…
菅原神社の足元で白子川に合流する百々向川は 合流地点のすぐ上流で武蔵野台地に切れこんだ谷をつくっている。 このあたりの川跡には百々向川緑道と名付けられた道がとおっている。 緑道のわきには井戸ポンプもあり、ここに水脈がとおることを印象づける。 …
菅原神社からは白子川をはさんだ反対の西側にある台地にのぼる。 こちらも対岸の東側とおなじ武蔵野台地だが 白子川が武蔵野台地にややおおきく切りこんでいるので こまかくみればこちら側の朝霞台、対岸側は成増台と名前が区切られている。 荒川低地から崖…
百々向川が白子川に合流する地点で、 さらに小さな支流にもかこまれて台地面が取り残されたところに立地する菅原神社。 まわりよりも土地がもりあがった場所は信仰の対象になりやすい。 表参道と直交する道路も、くだり階段のある坂へとつづく。
川筋のゆるい傾斜のうえを道路がはしる。 シャッター。 シャッター、シャッター。 シャッター。 この通りで育った子供は 家の正面からシャッターをあけて中にはいると地下1階のガレージで 階段を上ったところに玄関があるのを あたりまえのことと刷り込まれ…
白子川は武蔵野台地を流れたあと荒川低地をながれて荒川に合流する川で 川越街道とまじわるあたりでは東京と埼玉の県境にもなっている。 現在の流路は三面張りのコンクリート護岸でがっちりと固められていて 力づくでおさえつけられている印象を受ける。 東…
武蔵野台地の北端は、ところどころで小規模な谷が台地に切りこんではいるが、 ほぼ荒川の流路と並行して直線的に連なる。 気候が温暖で海面がたかくなる時期には 東京湾の奥がかんたんに埼玉県まで入りこむので、 このあたりの台地のきわも何度となく波に洗…
白子川の西岸の、川越街道からもちかい朝霞台の崖下に位置する熊野神社。 同じ敷地に寺もあって、こちらは神滝山清龍寺というとのこと。 寺の名前が示すとおり、裏の崖に滝がある。 崖のすぐ上に集合住宅がたっているので崖の高さを把握しやすい。 武蔵野台…
東京スリバチ学会のフィールドワークは 都市化されてから時間がたったエリアを対象にしていることが多い。 そういう意味で農地に利用されている区画がところどころにのこっている 今回の成増あたりはちょっと特殊だった。 武蔵野台地のうえの平坦な土地は畑…
赤塚小学校の北東側に、北東に流れる赤塚川が刻んだ川跡の谷のはじまり(谷戸)がある。 この谷は台地にかこまれているので、下流側から近づくのでなければ谷の近くまできても その気配を感じさせない平坦な風景がつづいている。 よく探せば谷の先端へとおり…
地形の凹凸などをたのしむ東京スリバチ学会の成増のフィールドワークに参加した。 どうしても地形中心のはなしになるので、なにはともあれ地図は必要か。 大きな地図で見る 成増は、北を荒川の、南を多摩川の氾濫原の低地にはさまれて西から張り出した武蔵野…
隅田川の河口部にでると、2000年の前後10年程度で次々に建設された超高層ビルに周囲をかこまれていることにきづく。 西新宿が超高層ビルの象徴だった時代がおわったあと あたらしく超高層ビルの枕詞につかわれだした言葉が「湾岸」だ。 ここより南のウォータ…
東京駅の北で日本橋川がJR山手線や京浜東北線を横切る地点からすこし西にいったところ、 東京時層散歩のとき立ち寄った今川小路の道路下に眠る龍閑川へとつづくゲート
日本橋川はそのほぼ全区間が首都高速のしたにある。 路線は上流側から順に、池袋線、都心環状線、向島線。 ジャンクションは竹橋JCTと江戸橋JCT。 出入口は西神田出入口、一ツ橋出入口、神田橋出入口、呉服橋出入口、江戸橋出入口。 ゆるいカーブの連続する…
日本橋川はその最上流部で神田川から分流する川だが 日本橋川と神田川がつながるようになったのは比較的最近のこと。 その、日本橋川と神田川がつながるあたり、地図ではこのあたりのはなし。 江戸初期に本郷台地を切り開いて神田川がつくられた主要な目的に…
亀島橋の脇のビルの背中の壁。
日本橋川の下流、東京メトロ茅場町駅にほど近い地点で 現在までのこる日本橋川の唯一の派川、亀島川が 東に向かう日本橋川からわかれて南方向へとつづく。 海にちかく周囲も平坦なので川というより堀と呼ぶほうが実態に近いだろう、静かな水面。 亀島川は東…
日本橋川が水道橋駅の西で神田川からわかれてすぐのところにある 中央線各駅停車がつかっている鉄道橋。 小石川通り架道橋という。 レンガの古びかたから、つくられてから相当の年月がたっているものと想像できる。 この区間に線路が敷かれたのが1904年との…
神田川の、水道橋駅付近で日本橋川とわかれたあと東に向かう川筋は 江戸時代初めに都市計画にもとづいてひとの手で築かれたもの。 なかでもお茶の水付近の区間では 北から南へ張り出した本郷台地のたかまり(過去記事:神田明神の崖)が 川幅ぶんごっそりと…
神田川が隅田川に合流する手前、 川の両岸に屋形船が連なって係留されてしている。 屋形船の脇には堤防を乗り越えて 川のなかに船宿の小屋がたてられている。 このような小屋は治水や河川管理の観点でいえば邪魔者でしかなく いまの法律ではつくることができ…
隅田川から竪川水門をくぐって 江東デルタ地帯の水路のひとつ竪川にはいってすぐのところ。 川からの視線をわすれて油断しているビルの背中。
東京の川の映像作品「東京静脈」の監督の野田さんと 都市に新しい「水上経験」をつくることをテーマに活動されている BOAT PEOPLE Assosiationさんとの企画による 東京静脈Rクルーズに参加した。 川からみた首都高速両国ジャンクション。 隅田川の東岸をはし…
首都高速小松川線錦糸町出入口。 東西に高架ではしる小松川線から地上までおりてきたランプが 南北に地上をはしる四つ目通りの車道に十字に接続する。 四つ目通りの歩道部分はここでランプと平面交差しないよう地下をくぐる。 2階に首都高、1階に出入口、…
隅田川から東に竪川水門をはいったところ 両国ジャンクションにそなえて手前側にやや南へカーブする首都高速小松川線。 ここから東、小松川線は竪川のうえを直線状にすすんでゆく。 ところで この門型の橋脚、左肩と右腰に妙なでっぱりがついている。 ひとつ…