白子宿と白子川 2010年9月25日 スリバチフィールドワーク成増編
武蔵野台地の北のへりを南東から北西につづいてきた川越街道は
白子川を渡るところではじめて切りこんだ谷にぶつかり低地におりる。
白子川を越えたあと、明治時代までの川越街道はいちど角を左に曲がって南西にむかい、
朝霞台の崖の傾斜が小川に削られてゆるくなっているのを利用しながら
北西にむきをかえて武蔵野台地に復帰する。
川越街道が折れまがるあたりに位置していたのが白子の村(地図)。
川越街道の宿場にもなっていた。
熊野神社に湧水がみられるように水に恵まれた村で
酒造りもおこなわれていたとのこと。
白子には、川越街道にそって東武東上線が敷かれたときすぐ付近に駅が設けらず、
そのためまちは大正時代以降さほど繁華街として発展しなかった。
いまでは郊外住宅地に埋もれているようだが、
ここに足を踏み入れると周りとはちがった、歴史の雰囲気がただよっている。
成増団地からみるとここは白子川の上流側、
このあたりでも川は3面張りの護岸にかこまれて直線の流路をとっている。
直線化される前の白子川の河道の一部が公園としてつかわれているところがあった。
公園の地面は横をはしる道路より低く、
川の護岸だったものがそのまま残ったのだろう石組みが
道路とのさかいに腰をかけられるくらいの段差として顔をのぞかせている。
ちなみに上の写真で右側にうつっているコンクリートの斜面は東部東上線の土台。
基本的に武蔵野台地のうえをはしる東上線は
白子川の谷底の低地まではおりずに
かわりに盛り土構造をつかって谷を横切っている。
川越街道の宿場町だった白子のすぐそばに駅が設けられなかったのは、
谷底までおりるとなると工事が高くついたからだろうか。